棚卸し010●南木佳士
ちょうど南木佳士が「ダイヤモンドダイスト」という作品で芥川賞を取ったときのインタビューである。それで、「週刊文春」(1989年2月9日号)なのだろう。
南木佳士の作品を何作か読んでいて、確か、軽井沢だったと思うが、彼の勤め先の近くの宿で話を聞いた。当時、南木は佐久総合病院の内科医長で、仕事を終えてから、訪ねてくれたのではなかったか。
受賞作は農村の病院を舞台にしたものだ。やけに死にまつわる挿話が出てきたのを覚えている。私のイメージの中では、後に、同じように芥川賞を受賞した際に、同じ「週刊文春」でインタビューした玄侑宗久と重なっているのだ。その「死」への距離感のようなものが。
南木の話には、いくつもの「死」が出てきた。農村での農薬による自殺者、ガンによる入院患者の死者、三歳のときに亡くなった母の話などなど。
ただ、死について語りながら、その口調はどこか軽やかでもあった。けっして軽佻なのではなく、透明な羽根の舞うがごとく、なのである。
除草剤による自殺は意識がはっきりしたまま、なかなか死ねずに苦しむらしい。血液透析など、助けるための治療にはお金がかかるが自殺は保険がきかないので、助かっても亡くなっても大変だという話があって……。
「かと思えば、冬の軽井沢で手首をちょっと切って、救急車で運ばれてくる女の子がいる……(所持品検査で)リルケの詩集なんかが入っている。警察が『先生、やっぱりリルケは危ないですね』。危ないわけないじゃない。そういうのは思いきり笑ってやりますよ。何がリルケだよって、ハハハ」
深沢七郎の『楢山節考』が好きで、ああいうように何げない文体で不気味さを出したいと語っている。深沢が佐久総合病院に入院した際、いろいろと話を聞いた。深沢曰く、「小説なんてウンコのようなもので、たまったものを出す、それだけのもん」。なかなか、そうはなれないよね、しんみり呟いていた。
「(祖母の死を知らせる)電話を受けたときに瞬間的に思ったんですが、結局思い出が語れなくなる、そのことが悲しいんですよね。共有する思い出というのは語り合うことでしか思い出せない」
実は、私はこの話を長いこと自分の頭で考えたものだと思って、いろいろな場で喋っていたのだ。いま、色褪せた切り抜きを読んで、「ああ、南木さんの言葉だったんだ」と改めて知ったのである。
この後、20年間で私もいくつかの「死」と出会った。ここで南木が言っているように、「死」は年齢、性別、富裕などに関係なく、「風はふいに吹いてくる」ようなものだと、ほんの少し分かってきた。
このインタビューのため、共に軽井沢の宿に泊まった文藝春秋の編集者Iも、10年前に亡くなった。最後に、彼の作った文庫本が『納棺夫日記』だったのも因縁めいているが、そこに何の意味もないことは、私もよく知っている。


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